
This episode discusses two books focusing on the relationship between writing and reading, and the thought processes involved in both.
今回は、二冊セットシリーズの第三弾として、 『言語化するための小説思考』 と 『理系の読み方: ガチガチの理系出身作家が小説のことを本気で考えてみた』 の二冊を取り上げました。 収録で使ったメモは、以下からご覧になれます。 ◇ブックカタリストBC143用メモ | 倉下忠憲の発想工房 それぞれの本の内容よりも、お二人の作家さんに興味を持っていただけたら嬉しいです。 読むことと書くことの呼応 文章を書くという行為は、たいてい誰かに読んでもらうことが意図されます。個人的な手紙なら具体的な人物でしょうし、作品の場合は不特定多数の人間となります。どちらにせよ、そういう人に読んでもらって、文章はその意義を真っ当できます。 だから、読むことと書くことは呼応します。どう読まれるかを考えないと、どう書くかを検討できないからです。 ところで、どう読まれるのかが完璧に演算できるなら、この環は閉じます。そう読まれる通りに書く。言い換えれば、読まれるようにしか書けない。そこでは新しい表現は生まれてこないでしょう。 実際は違います。その文章がどのように読まれるのかを完璧に演算することはできません。個人レベルでもそうですが、不特定多数ならよりいっそう不可能です。だからこそ、誤配が生じる。そこから新たな「読み方/読まれ方」が立ち上がっていく。 一方で、ぜんぜんまったくわからないということもありません。全体として見たときの統計的な読まれ方の傾向、というのはたしかにあります。それを完全に無視して書けば、前衛芸術とすら呼ばれない代物ができあがるでしょう。 新しいものを生み出す人たちというのは、そのような二者のバランスの間をジグザグしながら採り続けている人たちなんだろうなと思います。 分析と「書いてみる」という実験 本編でも出てきましたが、ある状況を設定し、そこからどうなるのかを見守りながら、伏線や意味を(後づけで)見出していく、という書き方を二人の作家は採用しているわけですが、これはもちろん思考法でもあるわけです。 よく「書いて考える」という言い方をしますが(書きながら考えるという言い方でもいいです)、そこで行われているのはそのような「シミュレーションを動かす」に近いものです。 つまり、思考する→書く→思考する→書くという風に「書くこと」と「考えること」を交互に行うのが「書いて考える」ではありません。そうではなく、脳内である状況をシミュレーションし、そのシミュレーションを前に進めることを「書くこと」を通して行うのが、「書いて考える」なのです。…
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