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大熊弘樹が『エヴァンゲリオン劇場版Air/まごころを君に』を再評価し、その時代性と心の問題について考察するエピソード。
お久しぶりです。大熊弘樹です。 約2年ぶりとなる「フクロウラジオ」第49回を配信しました。 今回のテーマは、先日、全国の映画館で再上映された伝説の映画、『エヴァンゲリオン 旧劇場版 Air/まごころを、君に』です。 昔フクロウラジオで同コンテンツについて皆んなと語り合った時、「人生を変えてくれた」とまで公言していたこの作品と再会したわけですが、正直に言うと、ある奇妙な「違和感」を覚えてしまいました。 圧倒的なクオリティ、世界の残酷さと人間の醜さを描き切ることが美しさの表現につながるという逆説。その根源的な魅力は再確認できました。しかし、かつてのように「スッと入ってこない」。 なぜ感動しきれなかったのか。今回のラジオは、その「距離感」の正体を、自分なりに整理してみました。 違和感の正体:1997年という「余裕」の時代 鑑賞中、そして鑑賞後に強く感じたのは、この作品が持つ強烈な「時代性」でした。 『旧劇場版エヴァ』は1997年の作品です。一般的にこの時代は「絶望の時代がこれから始まる」という予感をはらみつつも、経済的にも精神的にも、まだギリギリの「余裕」があった特異な時代として解釈されます。 臨床心理士の東畑開人さんの言葉を借りるなら、「実存(=自分自身のあり方や生きる意味)と向き合うためには、まず生存(=物理的に生きていくこと)が保証されていなければならない」。 1997年とは、まさに人々が自分自身の「実存」の問題と向き合ったり、他人の物語(創作物)に深く共感したりすることができた、最後の「余裕」のある時代だったのではないでしょうか。 そして、『旧エヴァ』は、その「余裕」を前提として成立していた「時代の産物」だったのだと、今になって強く感じます。 だからこそ、物理的にも精神的にも「生存」が最優先となり、余裕が完全に失われた現代においてこの作品に触れても、ノスタルジーは感じても、かつてのような切実さでは響いてこなかった。これが、私が感じた違和感の核心なのだと思います。 対極の傑作:高畑勲と『となりの山田くん』 『旧エヴァ』が「時代の産物」である一方、同時期に、はるかに高いレベルでこの時代の本質を射抜いていた作家がいます。 それが、高畑勲(たかはた いさお)監督です。 『旧エヴァ』(1997年)のわずか2年後、1999年に公開されたのが『ホーホケキョ となりの山田くん』でした。 私は、この2作品を「心の問題」という軸で対比できると考えています。 • 『旧エヴァ』(庵野秀明) • 心の「喪失」の問題を扱った作品。 • 「何を失ったのか」が明確であり、その喪失感と向き合う物語。これは、先述の「余裕」があるからこそできることです。 • 『となりの山田くん』(高畑勲) • 心の「欠落」の問題を扱った作品。 •…
People in this episode
Host: 大熊弘樹
Topics covered
- エヴァンゲリオン
- 映画
- 時代性
- 心の問題
- 高畑勲
- 文化批評
Keywords
- エヴァンゲリオン
- 映画批評
- 高畑勲
- 心の問題
- 時代性
- 文化
- ノスタルジー
Mentioned in this episode
Books & works: エヴァンゲリオン劇場版Air/まごころを君に, となりの山田くん, ホーホケキョ となりの山田くん
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